私は1988年から97年まで伊那市で暮らし、民青同盟、しんぶん赤旗伊那市出張所、長野5区候補などの活動をしました。そして私より5歳年上の和人さんは、25歳で初当選しすでに市会議員として活動していました。偉ぶらず、控えめで、それでいて原則的な和人さんは、私の原点ともいうべき伊那時代の最も身近な存在でした。
和人さんとは、彼が中央委員会で活動するようになってからもご一緒する機会が何度かありました。とりわけ私が衆院比例代表北陸信越ブロックの候補者として活動した09年の総選挙では、とてもきつい候補宣伝車の責任者となっていただきました。
実はこの選挙の直前に私は大きな病気がみつかりながら、最後まで選挙戦をたたかったのですが、和人さんには大変な心配もおかけしました。
今日、和人さんとお別れをしても、どうしても気持ちの整理がつきませんでした。甲斐駒、仙丈、のうとり、北岳…しばらくの間、懐かしい伊那の山々を遠く眺めました。無念です。
0 件のコメント:
コメントを投稿