伊藤千代子は諏訪生まれの戦前の日本共産党の活動家で、1928年(昭和3年)に帝国主義戦争反対、主権在民をかかげる日本共産党に入党します。
千代子は、諏訪高等女学校から進学した東京女子大で資本論の学習サークルでも活動したようですが、天皇制政府の暗黒支配の象徴である治安維持法により逮捕、投獄されました。
千代子は、獄中の凶暴な拷問、虐待、転向の強要にも節を曲げずにたたかいぬきましたが、翌1929年9月についに力つき24歳の短い生涯を閉じました。
中国への侵略戦争が拡大するさなか、諏訪高等女学校時代の千代子の恩師である土屋文明は、「こころざしつつたふれし少女よ 新しき光の中に置きて思はむ」と詠んで、その死をいたみました。
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