2018年5月29日火曜日

どどめの思い出

 4年前に中古で買い求めた我が家ですが、なぜか一本だけ桑の木があり、今年も「どどめ」がなりました。長野市で、しかも市街地に近い住宅地で桑の木をみるとは思わなかったので、結構大きくなっているのですがなかなか切る気になれません。

 私が子どもの頃過ごした群馬県渋川市の実家はまわり中が桑畑でした。養蚕農家でおカイコを見せてもらい、学校帰りは桑の枝を振り回してチャンバラ、「どどめ」をつまんで食べたものでした。中学校の卒業文集の題も「桑の実」でした(さすがに「どどめ」ではなかった)。
 
 あれから40年以上が経ちました。故郷の懐かしい思い出がよみがえります。

今年も「どどめ」がたくさんなりました



2018年5月26日土曜日

震度5強の栄村へ

 昨夜の地震で震度5強を観測した長野県栄村へ、ながせ由希子参院長野選挙区予定候補、和田明子県議と午前中から入りました。

 齋藤康夫日本共産党村議に案内していただき役場で森川浩市村長から説明を受けました。
 続いて、大きな亀裂が入り水が抜けた水田や、室内灯や障子、額が散乱した公民館など調査しました。今の所、人的な被害はないようですが、農地などは大きな被害で今年は田植えや収穫のできない農家もありそうです。

 齋藤村議は、昨夜一睡もせず村内の被害状況を調査。「地震で地盤や農地が緩んでおり、雨が降ればさらに被害が拡大することも心配です。2011年の長野県北部地震に続く被害で落胆している村民もいます。詳細な被害調査を行い、復旧に頑張りたい」と話しました。
 私たちも、復旧に向けた村の要望や課題を県、国につなげて力になりたいと思います。

田植えの直後に亀裂が入り水が抜けはじめた田んぼ。2011年の長野県北部地震でも被害を受けた場所です。

長瀬公民館 室内灯や障子、額などが散乱。大きな揺れだったことが実感できます。


2018年5月25日金曜日

現地調査2日目  

 昨晩は茅野市泊。県議会(文教企業委員会)の現地調査2日目は、朝イチで諏訪養護学校(富士見町)へ。
 養護学校の児童生徒数が増えて、学校の過大化・過密化がどこでも深刻になっていますが、諏訪養護も95名の想定の2倍近い171名に。教室はいっぱいイッパイ。それでも足りなくて特別教室などを代用しています。
 学校の新設を含め、その場しのぎでない抜本的な整備計画が必要です。
 たまたま今日はPTA作業の日ということでした。どこかで見た人がいると思ったら、昨年のPTA会長さん(共産党長野県委員長さん)でした。

 続いて、高速道路で安曇野市の豊科南小学校へ。北アルプスの山々の大パノラマ。100メートルにもおよぶ独自のせせらぎ、敷地内に自由に遊べる森もあり、まさにビオトープ天国でした。うらやましいくらいの自然環境教育が行われています。

 現地調査の最後は、中信教育事務所(松本市)。私は、教職員の多忙の実態と対策について質問しました。
 
 2泊3日の現地調査(中南信)は、天候にも恵まれて無事に終了。充実した調査になったと思いますが、そうはいっても疲れました。

諏訪養護学校で昨年のPTA会長さんと

豊科南小学校のせせらぎ「百石堰」




現地調査 木曽、伊那、諏訪

 長野県議会(文教企業委員会)の現地調査は、木曽青峰高校(木曽町)からスタート。旧木曽山林高校を引き継いで森林の植生から伐採、製材、そして製品化まで、山に入り木に触れながら学べる森林環境課が魅力的です。長野県の森林を育成する人材がたくさん育ってほしいものです。

  次に、木曽から伊那谷に抜けて県の高遠さくら発電所へ。目的は、ダム下流の川が枯れないように最低限の水を流す維持放流水(毎秒1㎥)を有効活用した発電システム。これまでは流しっぱなしでしたが、維持放流水も「捨てたもんじゃない」。
 広がれ、再生可能エネルギー発電!

 さらに、峠を登って降りて諏訪市へ。諏訪実業高校の定時制で学ぶみなさんと懇談。昼間アルバイトして大学の学費の準備をしている人、会社で責任ある立場にいながら高校は卒業しておきたいとがんばる人、文化祭とかイベントがあるといいなと要望も…。それぞれいろんな困難や事情を抱えながらも、しっかりした考えを持っておられました。参加の県議さんから、生徒さんを励ます言葉が続いた充実した懇談でした。

高遠さくら発電所 左側の太い管から維持放流水が流れています
諏訪実業高校 給食(夕飯)はパンと牛乳でおかずがないとか
    

2018年5月19日土曜日

友人を失いました

 とても大切な友人を亡くしました。
 栗原暁さん(元長野県長和町議)が、5月19日未明に56歳でこの世を去りました。
 栗原さんとは、信州大学の学生自治会の活動で知り合い、その後、民主青年同盟や日本共産党の活動でも長野県内で一緒に歩んできました。
 かれこれ40年近いお付き合いでした。

 2年前に突然病気を告知された栗原さんは、昨年の町会議員選挙で議員を交代し療養に専念していました。わたしも同じ病気を経験したので、時々顔を合わせたときは彼の健康状態をお聞きして心配していました。

 栗原さんは、共産党議席が空白だった旧長門町に職を辞め、移住して立候補。以来、結婚して家族をつくり、党をつくり、そして25年間にわたる議員活動で地域に貢献し、生涯の地と決めた町に文字通り骨を埋めました。

 大きな体で、いつもおおらかだった栗ちゃんとは、心の中でずっとつながっていました。だから、これからもつながっていくつもりです。 

 
栗原暁さん フェイスブックの写真から借用しました


地域を歩き、楽しい出会い

  ある地域で活動中、「このお宅は知り合いだけど、自民党支持だからムダだと思います」と、いっしょに行動した方が言いました。  でも、せっかく近くに来たのだからダメもとで訪ねると、相手の方は自民党の裏金問題で怒り心頭でした。「どうやったら自民党を懲らしめてやれるか、考え中です」とい...